09/09/2026
日本の心を編集する 06
「節句ではなく、節供。」
「せっく」という文字を書くとき、
一般的に使われる俳句の「句」ではなく、
私は**「供物」の「供」**と書きます。
なぜ、「供」なのか。
昔の人々にとって、
季節の変わり目は、
体調を崩しやすい、不安定な時期。
現代に生きる私たちにとってもそうなのですから、
今のような医療も薬もない時代を生きた人々にとっては、
大げさではなく、恐怖でもあったと思うのです。
だから、節目には、
まず祓い、清める。
そして、その季節にとれたものを
神さまにお供えする。
お供えしたものを、
今度は私たちもいただく。
そこには、自然の恵みに感謝し、
神さまとともにいただき、
また次の季節を無事に生きていこうとする、
人々の願いがあったのではないでしょうか。
だから私は、
神さまに「供える」という意味を残したくて、
あえて「節供」と書いています。
祓う。
清める。
供える。
いただく。
そして、また次の季節を生きていく。
重陽の節供に限らず、
私は、節供の行事を、
「迎える季節を元気に生きていくために、
心身のメンテナンスをする日」
と捉えています。
日本人が継承してきた年中行事。
その奥にある、
古の人々の願いや祈りに思いを馳せ、
今を生きる私たちなりの形で、
季節を迎える。
それこそが、
文化を継承していくことなのではないかと、私は思っています。
公式HPでは、重陽の節供について、
なぜ「陽」が重なる節供なのか、などについても綴っています。
『菊に託した、命を寿ぐ心
――重陽の「節供」に見る、日本人の感性』
プロフィールの公式HPより、ぜひお読みください。
English
英語は、今回決めた短い要約方式で十分です。
Why do I write “Sekku” as 節供?
Sekku is commonly written as 節句.
I choose to write it as 節