13/10/2026
1組の方がはやめにチェックインされて、もう1組のチェックインを待つ間に自分の作業をしたり、珈琲を淹れたりしている。
久高島で泊まった、おばあちゃんとその娘さんがやってる民泊を急に思い出す。20代のはじめ、故郷沖縄の東にある久高島に年に一回くらいのペースで泊まりに行っていた。よく泊まっていたその民泊は、畳敷きの襖で区切られた場所が宿泊者の寝室で、宿のおばあちゃんと娘さんは同じ建物内の奥のスペースに住んでいた。
ある夜、早いけど寝ようかなぁと横になって、本当にここは静かだなあとうとうとしているとき奥のキッチンから「にっぽん!ちゃちゃちゃ!」という音が聞こえた。バレーボールの女子日本代表が試合をしているようだった。2人はそれを懸命に応援している。それが、もうすっごい良かった。泊まりの人がいようが、いまいが、ふたりが普段の生活を楽しんでいることに、わたしはどこかとてもホッとした。
すごく暑い日に氷の入った麦茶を振る舞ってもらいながらほんのすこし身の上話をしたこともあったし、ほとんど喋らないときもあった。別にどっちでも良かった。ふたりが無理をしていないことが、わたしにとってそこに泊まるひとつの大事なことだった。
泊まる人を迎える側として、できるだけ泊まってくれる人が良い時間を過ごせるといいなぁとおもう。宿の人らしい振る舞い、もしくは本屋であれば、本屋の人らしい振る舞いを、(来てくれた人が歓迎されていると感じるように)してみたくなるときもある。ただ、何度おもいだしても、あのおばあちゃんに歓迎された記憶がない。でも邪険にされた記憶もない。それが良かった。だから、わたしもそうしたいなとおもう。結構難しい。
来月、娘たっての希望で、ふたりでディズニーランドに行く計画を立てている。あの民泊とは真逆の世界観だ。修学旅行ぶりのディズニーで、ふたりで本を買ってこのアトラクション乗りたいねぇとか、パレードも見たいねとか話をしている。わたしにとっては大冒険だ。こわすぎる。修学旅行で行ったときには「さぁ楽しんでください」という圧に反発していた。今なら、楽しめるのかもしれない。しかも娘も一緒ならなおさら。どちらが優れているという話ではない。それぞれのやり方がある。わたしはわたしのやり方を、ずっと探している。(実希)