17/04/2015
わたしは、24歳の頃に『最後の晩餐』を見ました。室内は暗く、画面はぼんやりしていて、あまり良くは見えなかったのですが、完璧なまでの画面構成と荘厳な舞台(演劇空間)を見ているような異質な感覚に圧倒されたことを覚えています。それから数十年後に、クリーニングされた『最後の晩餐』を見ました。その鮮やかな色彩に驚きながら、以前見たのと別な「異質な感覚」に圧倒されたのです。
この『最後の晩餐』には、多くの習作(スケッチ)が遺されています。そのせいか、このような話までが、まことしやかに伝えられています。
「 ユダのモデルにふさわしい人物」が地下牢にいますよと言われたレオナルドは、
すぐさまその地下牢に向かった。その人物の姿や表情に納得したレオナルドはすぐさまスケッチを始めた。しばらくして、「レオナルドさん、お忘れですか、わたしですよ・・・」と低く響き渡る声で、そう言った。 思わず手を止めて、 やつれ果てた囚人を見つめるレオナルド・・・。数年前、イエスのモデルをした修道士、その人ではないか。加えて、その囚人が、サヴォナローラだという「あまりにできすぎた逸話」が伝えられています。おそら「つくりばなし」でしょうが、哲学的な意味合いの含まれた(ありそうな)話だからか、当時も今もそのように囁かれています。
このサヴォナローラに翻弄され、大きな犠牲を払った芸術家がたくさんいます。正義感の強いボッティチェリもその一人です、再起できないまでに打ちのめされたと言っていいのです。宗教指導者には二面性があります、現在も「負の遺産」は続いていると言っていいのです。