09/08/2026
8月9日、長崎
――父が手渡してくれた、平和な未来
81年前の8月9日。
長崎で、私の祖父母と、まだ幼かった父は被爆しました。
爆心地から約1,500メートル。
そこは一瞬にして焼け野原となり、
それまでの暮らしは、何もかも失われました。
幼かった父は、
大切なものを身体に結びつけられ、
「生きろ!」と言われたそうです。
それは、ただ自分の命を守るためだけではなかったのかもしれません。
祖父母の分まで生きる。
そして、まだ見ぬ未来のために生きる。
いつか生まれてくる、私たちのために。
父は、あの日の悲惨な出来事を、
ほとんど語りませんでした。
けれど、何も感じなかったわけではないと思います。
あまりにも多くのものを奪われた。
あまりにも理不尽だった。
きっと、悔しかった。
原爆投下後、
焼き場に立つ少年の写真があります。
その少年と、
当時の父は、ほぼ同じ年齢でした。
写真の中の小さな少年を見つめると、
私は幼かった父の姿を想像します。
同じ長崎の空の下で、
父もまた、あの日を生きていた。
どれほど怖かったのだろう。
どれほど悔しかったのだろう。
それでも父は、
その悲しみや憎しみを、
未来を生きる私たちに背負わせませんでした。
父が私たちに残してくれたのは、
悲惨な過去だけではありません。
未来を幸せに生きること。
家族と笑うこと。
人を大切にすること。
明日を楽しみにすること。
父は、私たちに
平和な未来を手渡してくれたのだと思います。
私は今、
100年前の長崎を写した手彩色絵葉書を見つめています。
そこにあるのは、
特別な出来事ではありません。
街を歩く人。
働く人。
家族。
子どもたち。
港の風景。
何気ない風景。
何気ない生活。
けれど、それこそが、
かけがえのない平和な一日だったのでしょう。
笑い声があり、
大切な人がいて、
明日があった。
そして81年前、
その何気ない一日が失われました。
だからこそ、思います。
平和とは、
特別なものではない。
家族と過ごすこと。
誰かと笑うこと。
好きな場所を歩くこと。
明日の幸せを願えること。
そんな、何気ない一日そのものです。
失われたものを思うほど、
今ここにあるものの尊さに気づかされる。
父が生きてくれたこと。
その命が私たちへつながったこと。
そして、私たちが今ここにいること。
一つの命から、次の命へ。
一人の想いから、次の人へ。
平和への願いも、
少しずつ、静かに、
満ちてゆく。
藤井風 満ちてゆく
https://youtu.be/ptiK8U4WlSc?si=_zvBESqqHDyrSoXd
父が、悔しさを抱えながらも、
憎しみを次の世代に残さず、
平和な未来を手渡してくれたように。
私も、その未来を受け取り、
次の世代へ手渡していきたい。
勝ち負けだけじゃなかとさ。
大切かとは、ピースばい。
誰かに勝つことより、
誰かを大切にすること。
憎しみを残すことより、
平和を残すこと。
Peace is in your hands.
平和は、誰かが与えてくれるものではない。
私たち一人ひとりの手の中にある。
そして、令和8年8月8日。
私は、これまで大切にしてきた想いを胸に、
新たな活動をさらに進めます。
Peace by Piece Nagasaki
一人ひとりの小さな想いを、
一つひとつのピースとして。
過去から受け取った記憶を、
未来への平和につないでいく。
大きなことはできなくてもいい。
一人の想いが、
もう一人の想いと重なれば、
やがて平和のかたちになっていく。
父が私たちに手渡してくれた平和を、
今度は私たちが、次の世代へ。
Piece by piece.
Peace by peace.
一つひとつ。
少しずつ。
平和を、未来へ。
明日、8月9日。
長崎から、世界へ。
Peace is in your hands.
そして、
平和な一日が、
これからも静かに満ちてゆきますように。