11/02/2018
第2話...........明治の漆の黒塗り桐箪笥…........「2階の倉庫にあるよ.見てみるね」と不動産屋を.している.岸さんは。。2階の倉庫へ.骨董屋を始めよとする知人を案内します..。そこにはがらくたの.ほこりをかぶった物が雑念と置いてあります..奥の右の隅に.箪笥が2本ありました.
1本は1間物であまりにも管理が悪く.1度雨風に当たったらしく.見るに耐えないものです.しかしもう1本のは.7合物で.黒の漆塗りの整理タンスです.相当痛んでいますが.手直しをすれば.古さとある程度の雰囲気を持っています.周りが杉板です.これが総べて桐で.出来ていると.最高の物です.
「それを貰う」と言う事で.岸さんと.その知人と2人で担ぎ出そうと.リフトのところまで.架かえていきます.しかし足元が悪く.後ろ向きの岸さんが.タンスを持ちながらつまずき.転びます..タンスの下敷きになった.岸さんは。息が出来ずにうなっています.さあ大変と.知人はタンスをどかし「だいじょぶですか」と.岸さんの背中を叩きます.
暫くして.起き上がった岸さんは「いたいいたい」といいます
腰や足の骨は折れてなく.少しずつ動きます...後日に肋骨をいためていたことが。わかります。。腰の骨で無くて幸いです
大変な騒動をして移動するのを嫌った.「黒塗りの桐タンス」は.又あまりの老いた姿を.人目にさらしたくなかたのでしょうか.。倉庫の外に出たくなかたのでしょう。
この内気な.老タンスを手入れの為.汚れを吹きとるていると.タンスの裏に.墨で.「小保の。鶴」と筆で書いてあります。そのほかなにか.文字が何か書いてあるが.読めません.
おそらく.小保の鶴という家から.嫁に行く時.持たせたタンスと思われます..江戸の終りから明治の初めの頃の道具です..
昔.立花藩の北の端の筑後川の河口に.小保という地名のところが在ります.。.その隣村の.榎津「えのきず」という。木工の盛んなところが在り.おそらくその.タンスは.榎津タンスと思われます.
5..600年前..榎津。久米乃介という船大工の師匠がこの地へやって来て.船つくりを教えます.「その頃から.若つ港が。在り.筑後.一円の物流の拠点として.さかえていました」
その.師匠に付いて来た.弟子たちは.それぞれ.「志岐」姓を名乗り.船大工やら.宮大工.
それに家大工と家の建具やら.それぞれの道あるきはじめるのです。それらを扱う.商家の屋号が.肥前や.五島や.薩摩.豊前やといった名を残しています。榎津の本町には.榎津という姓の住職が居る.「願連寺」というお寺があり。。その寺の記録に.やく200年前の.門徒に.田ノ上嘉作という人が居ました久留米に.指物大工の腕が良い人が居て.そこへ弟子入りします.やがて.榎津へ帰り。タンスやら.水屋やらを作り.それを広めたといわれています.
榎津。小保。若津。酒見.向島.らら.合併して.大川町になります。そして.日本1の木工の産地となるのです
バブルのはじける前。その大川で.小売部門で.売り場面積と売上げで.大川1を誇った.立秋家具の社長「荒巻さん」は.大川で名門の.山浦。醤油屋の養子なのです.先代は莫大な遺産を.残してし亡くなります.。相続税が大変で.土地を処分しながら.その税金を払います..
平成7..8..年頃までは.バブルが弾けても.家具店の経営も曲りなりに良かったのですが.時代の変わり目で.ドル箱の婚礼家具が売れなくなり。その経営もジリ貧となり.立ち行かなくなります.店舗を電気屋に貸したり.回転すし屋をしたりと.いろいろ手を打ちますが.なかなかうまく行きません。そのうち店舗が.火事に見舞われます..資金も.そこを打ち.銀行からも.見放され..全ての土地を担保にオリクスより.最後の金策をするも.行ずまります..
整理をしている時に.家付き娘の奥さんもなくなります.お金になるものは。すべて売り払います.あまり古くてお金の価値がない家具を.不動産屋の岸さんが預ったのでした..社長婦人の祖母が.小保の鶴さんより.醤油やの山浦さんへ嫁に来た時の.嫁入りタンスでした..孫たちが.身代をなくしたので.世間様へ顔向けが出来なかったのでしょうか….
それで引きこもっていたかったのでしょうか.......................完.