09/02/2025
福永武彦『草の花』を読んでいた日々の日記です。
1月7日
今月は自分のトラウマに向き合う月と決めて、ほとんど働きもせずぼんやりとしている。過ぎゆく日々への焦りと、なんか全部どうでもいいと言う投げやりな気持ちが交互に押し寄せてずっと寄るべない気持ち。
孤独な気持ちに寄り添ってほしくて、福永武彦『草の花』を家の本棚から抜く。
1月8日
何もする気が起きない。ぼんやり悲しい。とんでもなくつまらない番組を発見して、つまらない……!と思いながら繰り返し見てはつまらないことに癒されている。
1月9日
たまに手伝っている飲食店でバイト。フォークを拭いていると急に焦点が絞られる感じがする。目の前にフォークがある。私が目で捉えているものが、自分だけのものであることの寂しさに今日は何故か耐えられない。
1月10日
光にハマって懐中電灯を買う。懐中電灯を使いたいがためにわざわざ夜中に友達と大きくて静かで暗い公園に行って、真っ暗な場所で本を照らして読む。寒くてすぐに引き上げたけど良い時間だった。
1月18日
作りかけのzineを再編する。zineのために撮ってもらった自分の身体の写真が何枚かあって、どれにするか迷っているうちに自分の身体を載せてみたくなったのでインスタに載せてみる。自分の身体が自分を離れて多くの人に見られるたときどう思うのかなあと興味があったけど、私の身体はただ私のものであり続けるのだった。
1月23日
昨日は誕生日だったので、珍しくいっぱい届いているラインをゆっくり読む。誕生日に一瞬でも思い出してくれた人たちのおかげで昨日は自分という存在が濃いような気がした。おめでとう、ずっと味方だよ、自分らしくいてね、大好きだよ、一緒に生きよう、言葉に照らされてピカピカひかる。
1月28日
ひとりでなんとなく千葉に泊まる。仕事をしてから静かに本を読む。いつまでも寂しい悲しいと立ち直れない自分に苛立つが、自分に対して向ける感情はいつか他人にも向けてしまう可能性があるので、悲しいなら悲しみつくすしかないのだと自分を落ち着かせる。
1月29日
今日も千葉にいる。電話で友達の喜ばしい話を聞いて、ふたりで嬉し泣きをする。私の心にまだこんなに綺麗な場所が残っていることを教えてくれてありがとう。
2月3日
深夜1時に自転車で集まりカラオケに行き、宮本浩次を熱唱してくれる女の子のがんばろぜに励まされる。
帰り道に冷たい風を全身で感じながら、私は生きてやってやるぞ、と誓う。死んだら何も出来ないじゃない、ばかだなあ。私はいつまでもあなたの不在が寂しいなあ。
2月4日
この前参加したイベントのことを思い返す。自由に話せる形式だったのに私は2時間全く話せなかった。何を話しても誰かを傷つける気がして怖くなって黙っていたけど、何をせずともその場に居ることを許されるというのは心地が良くありがたかった。その一方で、隣の人が声と指を震わせながら自分の言葉で話している姿が心に残っていて、勇気を持って話すということをしてみたい自分もいる。一対一とかできる範囲で始めてみたい。
2月5日
頬で産毛の柔らかさを感じながら、近づくことをお互いが許し合うことを奇跡と思う。耳の裏、首筋、唇から覗く歯、冷えた足。本を開くと主人公の汐見に招集が来る。
2月6日
文章から著者の戦争に対する傷が伝わってくる。戦争が残す人の痛みをこのような小説として残すことの凄さに動けなくなる。
私は今という時代にどんな影響を受けているのだろう。私はこの時代に何を思えばいいのだろう。何を見つけて、どんなことを書けるのだろう。
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